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執筆者の写真sato

04-02 戦前日本における鋼製ラーメン構造の橋梁について(2)

 今回は戦前日本の鋼製ラーメン橋脚について見ていきます。

1922(大正11)年

【鉄道橋】淀橋跨線線路橋(山手線,新宿~新大久保間)

 門型ラーメン橋脚で、鉄道橋で日本最初の鋼製ラーメン橋脚とされます。淀橋跨線線路橋は後年に架け替えられたため、当時の門型ラーメン橋脚は現存しませんが、同形の門型ラーメン橋脚はその後、市街高架線の架道橋や貨物線の跨線線路橋(乗越橋)にも使われていきます。


1925(大正14)年~1937(昭和12)年頃 (推定)

【鉄道橋】各地の乗越橋(線路跨線橋)

 1925(大正14)年に竣工した大阪の北方貨物線の複線化に伴って尼崎側に設けられた乗越橋の橋脚に門型ラーメン橋脚が採用された他、1929(昭和4)年に開通した城東貨物線の下吹田乗越橋、1930(昭和5)年に竣工した梅小路~向日町間2線増設時に桂川向日町間乗越線路橋などにも同じく門型ラーメン橋脚が採用されました。

 これらの線路橋は客貨分離が行なわれた他都市でも見ることができ、それらの具体的な架橋時期はまだ調べがついていませんが、恐らく同時期に竣工したものと推察されます。

北方貨物線 線路乗越橋(尼崎側)


北方貨物線 線路乗越橋(大阪側)


城東貨物線 下吹田乗越橋 


東海道線 桂川向日町間乗越線路橋


常磐線 三河島こ線線路橋



1931(昭和6)年

【鉄道橋】穴門架道橋(東海道線,元町駅構内)


【鉄道橋】宇治川架道橋(東海道線,元町~神戸間)


【鉄道橋】柳原架道橋(山陽線,神戸~兵庫間)

 神戸市街高架線(第一期)では、穴門架道橋、宇治川架道橋、柳原架道橋で門型ラーメン橋脚が採用されました。


1932(昭和7)年

【鉄道橋】黒門町架道橋(大阪環状線,玉造駅構内)

 大阪環状線の前身である城東線が高架化された際に架設された黒門町架道橋にも門型ラーメン橋脚が採用されました。


【鉄道橋】神田川橋梁(総武中央線,秋葉原~御茶ノ水間)

 神田川を斜めに渡る橋梁の橋脚として、神田川を跨ぐ八の字のラーメン橋脚が採用されました。


1936(昭和11)年

【鉄道橋】森小路大和川線架道橋(近鉄大阪線・奈良線,鶴橋~今里間)

 大阪線側の架道橋に門型ラーメン橋脚が採用されています。


1937(昭和12)年

【鉄道橋】穴門架道橋(東海道線,元町駅構内)


【鉄道橋】宇治川架道橋(東海道線,元町~神戸間)


【鉄道橋】柳原架道橋(山陽線,神戸~兵庫間)

 神戸市街高架線(第二期)でも1931(昭和6)年竣工の第一期に合わせて穴門架道橋、宇治川架道橋、柳原架道橋で門型ラーメン橋脚が採用されました。


【鉄道橋】西吹田架道橋(東海道線,吹田~東淀川間)

 産業道路(現在の国道479号線)の開通が1937(昭和12)年であったことから年代を推定しています。架道橋としては珍しいπ型ラーメン橋脚が採用されています。

【道路橋】大宮跨線橋(京都)

 1927(昭和12)年に開通した京都の大宮跨線橋は鋼製ゲルバーによる跨線橋で、その橋脚の一部にはラーメン橋脚が使われています。



 

 (1)では鋼製ラーメン橋、(2)では鋼製ラーメン橋脚について見てみました。ただし、これらは市街の橋として架橋されていることが多いため目立たないことが多く、特にラーメン橋脚については道路橋で使われ始めた年代が今のところわからないなど未知の部分があるので、ここで紹介したのはほんの一部になると思われます。


 次回以降では、この鋼製ラーメン構造の橋梁の分布傾向や歴史的背景について考察していきます。



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