今から遡ること100年前の1920年代は、アメリカで「狂乱の20年代」と呼ばれるほど、歴史的・文化的に大きな転換点があるように思える興味深い年代です。
それまで世界の中心だったヨーロッパが第一次世界大戦によって相互破壊を経験した結果、それまで無視、あるいは収奪の対象とされてきたヨーロッパの“周辺”にある国々や民族が、ヨーロッパと同じ、あるいはそれ以上の価値があると見られる、もしくは自ら気付くことで既存の伝統から逸脱しようとするうねりが大きくなったと思われます。
そんなモダニズムの波と「技術革新」と「大衆性」によって、1920年代は世界が再構築されるタイミングであったと見られます。
音楽ではジャズが生まれ、デザインではバウハウスやロシア・アヴァンギャルド、アールデコなどが興り、文学ではプロレタリア文学が興るなど、それまでにはない新たな価値観が文化を牽引していきました。
日本の近代土木構造物でも1920年代に様々な変化を見ることができます。
以前に、日本の橋梁史において“戦間期”に国産橋梁技術が花開いたと書いた覚えがありますが、その象徴として私は親柱や欄干といった附属物のモダンデザインに心惹かれます。モダニズム建築にも通じる、丸みと直線の組み合わせが他のどの年代よりも洗練されていて際立っているように感じられるのです。
千登勢橋(東京)
業平橋(芦屋)
お茶の水橋(東京)
七条大橋(京都)
桜橋(富山)
住吉橋(名古屋)
橋梁以外では、ダムでも1920年代に大きな転換点を迎えます。その要因には、「長距離高圧送電」と「化学工業の発達」、そして「コンクリート技術の発達」が挙げられます。
日本のダムはもともと水道や用水を貯水するために建設されていましたが、1912(明治45)年に発電用のダムとして鬼怒川上流に黒部ダムが竣工したのを契機に、ダムを用いる水力発電が主流となっていきます。
そんな中、1914(大正3)年に稼働した猪苗代第一発電所がおよそ225km先にある東京の田端給電所まで送電を開始しました。これが日本の長距離高圧送電の嚆矢となり、それ以降、都市圏への送電を目論んだ電力会社の競争が激化して長野や岐阜、静岡などの山奥に大型ダムが建設されていきます。
一方、電力は都市だけではなく化学工業にも必要なエネルギーであり、「空気からパンを作る」と言われたアンモニア合成技術にとっても電力は必要不可欠でした。
1913(大正2)年、水素と窒素から直接アンモニアを合成するハーバー・ボッシュ法がドイツのBASF社によって工業化されました。それまでのアンモニア合成技術は1905(明治38)年に実用化した高電圧放電法や、1906(明治40)年に実用化した石灰窒素法がありましたが、前者はその名の通り高電圧が必要で、後者はその4分の1程度の電力で済むとは言え、どちらも安い電力に依存しなければいけない製造法でした。それに比べ、ハーバー・ボッシュ法は電力に依存しないため、立地不可能と思われた国や地域でも窒素固定工場の建設を可能にさせる画期的な製造法だったのです。
日本でのアンモニア合成は1923(大正12)年に日本窒素肥料が宮崎県の延岡工場で開始されましたが、ハーバー・ボッシュ法は当時最新技術でBASF社の特許料が割高だったため、そこでは高電圧放電法の一つであるカザレー法が採用されました。
日本窒素肥料がカザレー法に踏み切った理由の一つに、創業者の野口遵が水力発電事業を経験しており、電力を安く得る技術があったからでもありました。
さらに、粗石を用いないマスコンクリート工法と、セメント価格の下落と機械施工化による型枠工法が急速に普及した結果、それまで主流だった石積みコンクリートダムが1920年代頃から次第に造られなくなっていきました。
石積みコンクリートダムの例 (烏原立ヶ畑ダム,神戸)
こうした背景により、日本のダムは「用途」と「工法」の両方で大きな転換点を迎えることになったのです。
ここで触れたのは橋梁やダムだけですが、近代土木構造物においても戦間期、特に1920年代がいかに面白い時期であったかを理解してもらえると思います。
そして、急速に進む技術革新と人間との関係性について考えるようになったのもこの時期で、様々な文化が芽生えたのも、まさにその関係性を解く(説く)ためでもあったと言えます。
例えば映画『メトロポリス』(1927)はこんな言葉で終わります。
MITTLER ZWISCHEN HIRN UND HÄNDEN MUSS DAS HERZ SEIN!
(頭脳と手の間の媒介者は心でなければならない!)
「頭脳」と「手」は、映画の中では支配層と労働者の比喩ですが、人間と技術として見た場合でもそれは通用する気がします。
バスター・キートンの『キートンの恋愛三代記』(1923)では、現代(Modern Age)の恋愛で重要なのは「Greed,Speed and Need」、すなわち、欲望とスピードと需要だと説きます。これは当時の世界観を表したものとも言えます。
チャップリンの『街の灯』(1931)に登場する金持ちは、泥酔している時は命を救ってくれた浮浪者チャーリーを友達と呼ぶけれど、酔いから醒めるとチャーリーを覚えてなくて浮浪者として追っ払います。目が見えないヒロインは、非日常でしかチャーリーが“見えない”金持ちとリンクし、終盤に手術で目が見えるようになったヒロインはやはりチャーリーのことが“見えなく”なってしまいます。花を一輪手渡した時に「あなただったのね?」と初めてチャーリーの存在に気付く、美しくも残酷なラストは人の心について問いかけているように思えます。
同じくチャップリンの『モダン・タイムス』(1936)ではもっとリアルに、機械による流れ作業で労働者が人間性を失う姿が、そして恐慌でどんなに貧しくなっても前を向いて歩こうとする姿が描かれます。そこには繁栄の影で人間性を失い、その繁栄が終わってようやく人間性を取り戻すという皮肉めいたものが感じられます。
結局、頭脳と手の間の媒介者は現れなかったのかもしれません。
土木構造物を見た場合には1920年代がすごく魅力的で面白く感じるのですが、同時に、伝統を壊したことによる弊害があったとすれば、それから100年後の現在において学ぶことがあるようにも思えます。
そんなことが複雑に絡みあって1920年代に思いを馳せるのです。
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